お客さんからの言葉

  • 2017.11.22 Wednesday
  • 23:51

 

「お姉さん、よく働くねぇ。見ていて気持ちがいいわ。」


今日、店内満席でてんてこまいの中、会計時にお客様からそうお声をかけていただきました。

過去にも「めっちゃ働くねぇ」「体大事にしてね」「なんでそんなに一生懸命働くんですか?」という声をいただいたことがあるけれど、

「見ていて気持ちがいい」

そんな言葉、初めていただきました。
すごく嬉しかった。

実はその2時間前には、従業員同士で店長への不満を吐き出し合い、
「お互い『こんな環境で私達って可哀想』ではなく、『こんな環境でも頑張り続けている私達ってスゴイ!』と思おう!」
なんて言って励まし合っていたのだけれど、

「よく働くねぇ。見ていて気持ちがいいわ。」

そんな素敵な言葉をいただけたのは、考えたら店長のおかげなんだなぁと気が付きました。

常識的にはツッコミ所満載の「とにかく働きたくない店長」なので、私達は言いたいことは挙げれば山ほどあるのだけれども、

逆を言えば、そんな店長だからこそ私達は鍛えられ、成長できたのかもしれない。
こういう状況じゃなかったら、果たして私はここまで努力できただろうか。

そういう意味で、あの店長は人を育てる能力に長けている人なのかもしれない…!

と思ったのでした。

失礼か。笑

 

ツッコミ所は満載だけども、でもたくさん感謝しております。

 


先週、春から始まった全12回の研修が全て終わりました。

全て受講することができ、修了課題を提出することができ、
自分のあまりの未熟さに打ちのめされて、もう嫌になった時もありながら、
今、ますます仏教って凄い、深い、面白い、と思っている前向きな私がいます。

そして、2年前からずっと挑戦したいと願っていた、カウンセラー養成講座への道が現れてくれた。

入学試験ならぬ入講試験は、約2ヶ月後。

準備万端どころか、何を準備すればよいのかすらわかっておりません。笑

だけど、家族が応援してくれているから、もし合格したら精一杯取り組むだけ。

もし落ちたら、まだ時期ではないということだから、次の機会に再挑戦するだけ。



先日、娘から、
「ママの考える『寄り添う』って、何?」
という質問がありました。

その日ちょっと学校を休んだ娘に私は
「まさに今日、あなたに寄り添っているつもり」
と答えたのだけど、

それに対して娘から反ってきた言葉は、

「私に言わせれば今日のママは、寄り添うというより、背中を押してる。

寄り添うって、アドバイスなんかせずにただ相手の話を聞くことなんじゃないの」

と。

衝撃でした。
この子は、凄いなと。

そして私は、肝心の寄り添うことを飛び越えて先走り、背中を押してしまっていたのだと、娘から教えてもらいました。
そう、すぐ突っ走るんだよ私…。反省。

少しは仏教をかじらせてもらったおかげで、自分の心を磨くこと(自行)と、人のために尽くすこと(化他行)を学んだつもりでいても、肝心の実践となるとてんでまだまだ…。

傾聴と共感、とはよく耳にするものの、それに徹することの難しさ。

だけど、会得したい。
それができる私になりたい。

今、そんな感じです。

 

 

キャンドル

  • 2017.11.05 Sunday
  • 03:42

 

真夜中にひとり、

お風呂場でキャンドルを灯し、

ゆったり湯船に浸かりながらお酒を呑む、

っていう怒られそうなことをしてみました。

(※写真はお風呂場ではない)

 

いや〜〜〜たまりません。癒される。

汗もたくさんかいて、毒素が抜けたような気さえする。

ずっとシャワーばかりだったから、やっぱりお湯に浸かるのは格別であると再認識。

 

そしてお風呂を上がったら、空には見事に輝く美しい月。

思わず庭に出て月光浴。たまらん。

これでまた明日も仕事頑張ります!

 

 

 

ここにはしばらく何も書けていなかったけど、

私はもっと仏教を学びたい。

そしてやっぱりカウンセラーになりたい。

 

実はそのための勉強をできるチャンスが今、来ているのです。

 

もちろん勉強したい自分もいるし、しかし現実に家事育児仕事で手一杯の自分もいる。

 

こんなんで、できるの?

無理しなくても、今じゃなきゃだめってことでもないじゃない?

 

この1か月ほど、私なりに迷って相談して悩んだ。

年齢を重ねられた方ほどやんわり反対してくれたけど、

身近にいる家族と職場の人が、たくさん迷惑も被るだろうにオッケーをくれた。

心底、本当に、ありがとう。

 

最終的に、決意させてくれたのは、

「こういう人達の力になりたいんだ」と改めて強く思わせてくれた人と、

「迷ったら難しいほうを選べ。そのほうが、同じ時間をかけても得るものが多い」という言葉。

 

できないかもしれない。

でも、挑戦しようと思います。

 

結果はできてもできなくても、それが自分にふさわしい縁だからそれでいい。

ただ1歩を踏み出して始めるということを今しようと思います。

 

 

やる!!!

 

 

 

頑張った

  • 2017.08.22 Tuesday
  • 22:38
ただ、よく頑張ったと、認めてほしかった。

頑張り過ぎだとか、無理をし過ぎだとかの忠告は、頭ではありがたいとわかっていても、否定されたと心が感じていた。

私しかいない状況だったから、がむしゃらに頑張った。
断ることも出来たといえば出来たけれど、それは困っている人よりも自分の都合を優先することで、私の心がそれを良しとしなかったから、自分の心に従っただけ。

そりゃキツかったけど、苦しくはなかった。
越えられない試練は来ないと知っているし、越えればまた私は成長できると信じているから。

私が頑張ったことは誰より私が知っている。



なのに。それでも。



よくやったと、誰かに言ってほしかったのだ。


涙が出た。


まだまだ、まだまだ若僧だなぁぁぁ。

だから打ちのめされて良かった

  • 2017.06.26 Monday
  • 04:42

実は1ヶ月前、自分の間違いというか、浅はかさを知って、心が打ちのめされました。

仏教を学び、長年苦しんできた人生が2年前頃に180度変わり、
生きる喜びを知って、全てが無駄なくありがたいと思った。

そしてあまりにも物事が思い通りにいくので、
それがつい、自分の力が凄いのだと思い、驕りや思い上がりが芽生えた。

しかし、自分の力が凄いのではない。
凄いのは、自分を支えてくれている、自分以外だ。

私の力はたかだか、それを少し感知できるようになったことだけ。

なのに思い上がって私は満足して、自分の成長を止めてしまっていた。

要するに、自分に増上慢があったんだ。

 

それを知って打ちのめされた。もちろん知れて良かったとも思ったけれど、

色々含めてとにかく、涙が止まらなくなるほどショックだった。


とはいえ、悩みも、苦しみも、必要あっての意味のあること。
だから安心して悩めばいいことも学んでいる。

目を背けず、安心して存分に味わえばいい。
カメレオンのように、これが今ふさわしく、ちょうどいい色だと。

それが必ずのちに「あれがあって良かった」に展開して転換していくと。

 

 

仏教は「活かす」教え。

私は、打ちのめされたことで沈み、元気がなくなり、
逆に「活力あふれる元気いっぱいの私」だったら出来なかったことが、できた。

人間、本当につらいときは、周りの笑顔や元気が憎らしく感じることもある。

元気に励まさないで。
一緒に泣いてほしい。
そんな場合もある。

自分が元気じゃないからこそ、起こせた行動がある。
だから今は、今がちょうどいい。



うっかり長くなっていた鼻をポッキリ折ってもらえて、やっぱり良かったです。

もう無理だ、こんな難しい深い教えにはもうついていけないって思ったけど、

もう菩薩なんか目指さなくていい、私は六道輪廻する人間でいいって思ったけど、

やっぱり戻ってくるんですね。笑



謙虚にいるためには、感謝を忘れてはならない。

そして傲慢にならないためには、向上心を持ち続けること。

私はこの1ヶ月で、そう学ばせていただきました。

 

 

どこに幸せがあるか

  • 2017.05.21 Sunday
  • 07:13

幸せというのは、外へ探し求めるものではなく、自分の中にある。

自分がすでに持っているものの素晴らしさに気付くこと。

幸せはそこにある。



念願の従姉妹に会えた。
新幹線と高速バスを使って、初めてのひとり旅。
最高の1日だった。

そして改めて、幸せとは、知ること、気付くことだと心から思った。

従姉妹はまだ悩むかもしれないけれど、
私が見たのは、想像していたより遥かに、ステキな家族でした。

全然、大丈夫!

親。

  • 2017.05.19 Friday
  • 10:15

我が子より自分の世間体を守る父だと知ったら呆れたけど、


父が育った環境を思うと、そうなるのも無理はないと哀れに思えた。



我が子より自分を心配する母だと知ったら憎みたくなったが、

このひとは、自分が1番可愛いんだと思うと、少し許せた。


 

 

私は、それまで近すぎてちゃんと見えていなかった、親の1面を知った。

そして冷静に理解できた。

決して、恨む心が全く無いわけではない。
だけど、

もうちゃんと恨んだから、

これからは恨む方へエネルギーを向けるのではなく、
自分が我が子に何をできるのかを考える。

負の連鎖を私が断ち切る。

 

 

親にとって都合が良ければ可愛がり、

親にとって都合が悪ければ否定する、


そんな条件付きの愛情ではなく、

 

本当の無条件の愛情を伝え続けよう。

 

それがあれば、人間は成長できると私は信じる。

 

 

 

 

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聞くと聴く

  • 2017.05.17 Wednesday
  • 09:42

 

「お前は相手の意見を、ただ聞いてるだけだ。

ただ喋らせて、ただ聞いて、相手の意見を聴くフリをしながら、

最終的に自分の意見を通そうとしているだけだ。」

 

 

 

「それは、相手の意見を受けとめていないということ?」

 

 

「そうだよ」

 

 

 

ずどーん。

 

私、どんだけまだまだなんだよ…。

 

徹底的に受けとめることを目標にしているのに。

 

 

 

 

昨夜、次男と私が言い合いになりまして、私がムキになってしまい、

あとで冷静になってから「嫌な母親だなぁ」と反省したら、

キッパリと「そうだね」と言った旦那さまが、教えてくれました。

 

人の心を聴いて受けとめる、気持ちを汲む、苦しみを吸い取ってあげる、

そんなひとを目指していながら、

今の私はまだまだ、聴いてるフリで、ただ聞いてるだけ、か。

 

痛かったです。

図星なんだと思います。

涙出ました。

 

そして、

「そんなことない!」

って言わなかったのは、成長だと思いました。

 

相手へ反抗してばかりで、自分と向き合おうとしなかった以前の私からすれば、

確実に成長しているんだと、思いました。

 

目指しているものが遠くて、

今の自分のまだまださを思い知って、

怖じ気づいたり迷いが出たりします。

 

でも、そういう時って、むしろ一段上がる時だと聞いた事があります。

 

順調に快適にいるような時って、実は停滞期というか、休息期であって、

問題が起きたり、苦い思いをする時こそが、新しい階段を上る時だと。

 

「聴いてるフリ」という言葉は痛かったけど、

おかげでこの指摘が私にとって、ものすごく大事なものであることがわかりました。

 

 

 

仕事が思いがけず休みになって、まさかの週末に時間ができた。

これは何のために時間をいただいたのかなと考えたとき、

ついに従姉妹に会いに行く時間をいただいたのでは!?と気持ちが昂ぶった。

 

しかし、自分の温度で事を進めようとした私を母は抑制してくれ、

実は聴く姿勢になれていない私を旦那さまが指摘してくれた。

自分の未熟さに落ち込んだし、正直迷いが生まれた。

 

だけど、逆に考えれば、これは応援だとも捉えられる。

 

大事なことをしようとしているからこそ、

その前に心構えと注意点を、教えてくれたのだと受け取ることもできる。

 

自分の温度を自覚し、相手の温度に合わせて、順序を考えて言葉を発する努力。

ただ聞いてるだけの自分を自覚し、相手の気持ちを聴いて受けとめる努力。

 

自覚って大事ですよね。

知らなければ、改善の努力もできない。

大事なこと教えてくれて、ありがとうございます!

 

 

私は、恵まれてる。

大人になったら、自分を叱ってくれる人は少ない。

自分の周りが甘い人ばかりだったら、自分は成長できないのだから。

 

昔はもっと甘えさせて欲しかった。

今は、自分が成長して高まっていくために、厳しさも欲しい。

旦那さまの厳しさは、今の私にとって、最高の優しさ。

 

 

 

 

反対側の落とし穴

  • 2017.05.16 Tuesday
  • 17:36

自分に自信を持てたのはいいが、

今度は相手への遠慮が足りない。

遠慮というか、配慮。

思いやり、だ。

冷たかった私は、今や逆に熱いくらいになった。

だけど
 

熱さを求めていない人もいる。

 

熱い自分の温度のままで相手にぶつかっちゃいけない。

相手の温度に合わせること。

 

母が教えてくれました…。ありがとう。




私は以前、自分が暗かったとき、
太陽みたいに明るい人ほど憎い存在はなかった…。

苦を抱える人と接するならば、あの感覚もまた大事だから、忘れないでいたい。



傲慢と同じ、
今の私の重要な課題。

 

 

 

仏教が教えてくれるのは、心が脱皮して成長する方法だと思う

  • 2017.05.16 Tuesday
  • 08:00
仏教は、というか信仰は、

自己の中を探検することだと思う。

それまで気がつかなかった自分に気づく。

こんな自分もいたのだと見つける。

自分の顔は鏡がないと見えないように、
自分の心は相手がいないと見えない。

相手に対し、物事に対し、現象に対し、
自分の心がどう反応したかで自分の心を知れる。

そして成長する。
自己が高まっていく。

高まるというか、
余分な「我」が脱げていって、本来の純粋な自分へ到達していくというか、
還っていくというか。


生きてきた中で知らず知らず縛られていた、鎖みたいな価値観や固定観念を、

気持ちよくほどいていってくれる。

自由にしてくれる。

自分を活かす道を教えてくれる。


今の自分は、自由で伸び伸びとして、
なんでもなくても楽しく、安心していて、随所に喜びがある。

そして、鎖でがんじがらめになっているような人をほっとけず、
何かしてあげたい、させていただきたいと思う。


自分を縛る鎖をほどくというよりも、
窮屈になった皮を脱いでもっと大きくなる、脱皮というほうが近いかも。


私は心理学とかは特に学んでいないけれども、
ことあるごとに、自分の心がどんどん脱皮していくのがわかる。

見栄っ張りの皮を脱いだ。

人と違うことを怖れる皮を脱いだ。

自分を卑下する皮を脱いだ。

受け身ばかりで自ら動かない皮を脱いだ。

まだまだある。
まだまだ脱皮できると思う。
わくわくする。

脱皮するたびに私は自由になり、成長を感じて嬉しくて清々しくなる。



今なかなか難しそうなのが、驕り。

つい、自分は「知っている」という傲慢。

まだまだ私は知らないものばかりだというのに、
うっかり、相手よりも自分は知っていると思ってしまう。

私の師は、
「苦しみに耐えるより、傲慢にならないほうが難しい。それが本当の忍耐。」
という感じのことを言いました。

苦しいことを耐えるよりも、
褒められて調子に乗ったり、自分の力に自惚れたり、傲慢になって上から目線になったり、
そうならないように耐えるほうが難しい、と。

いやまさに本当にその通りだと、私はこの言葉を励みにしています。

自分を卑下していた頃とは真逆の悩み。

謙虚でいたいです。


人に感謝させようとしない

  • 2017.05.16 Tuesday
  • 07:42
私は人に「ありがたいわね」と言わないでいたい。

「ありがたい」は本人が感じること。

人に感謝を強要しない。

自分が受けて自分が感じる。



自分が相手にしたことへ見返りを求めないのは当然だけど、

相手が受けている恩恵に対して、相手が感謝していないとき、
その恩恵に気づいてほしいとは思うけれども、
「○○ってありがたいわね」って相手に言うのは、違うと思う。

それは、押し付けになる。

ありがたい、って、
自ら気づいて感じてこそだ。



周りからすれば、その人を鍛え高める縁になっている物事であっても、

まだ出口の見えていない本人にとっては、苦しみ以外のなにものでもない。

それに、

本人が「ありがたい」と思っているとしても、
人から「ありがたいわね」と言われると、なんだか興醒めすることもある。

自分は、自分の見つけたものに感謝するだけ。

相手が見つけたものへ、相手を感謝させようとしない。

相手の苦しみに、寄り添う。

相手の喜びに、寄り添う。

決めつけない。押しつけない。

上から目線にならない。
ちょっと下から尊敬する目線。



「ありがたいわねぇ!」って正直ちょっと押しつけがましく言ってきた人がいて、

それに対して私の心はちょっと疑問を感じていたので、

「ありがたいわね」っていう言葉は、
実は相手に寄り添っていないのだと、教えてくれた人だと思いました。


うっかりやりがちな、とても大事なことを、身をもって教えてくれた。

反面教師と言っては失礼かもしれませんが、
それこそ本当にありがたいです。