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  • 2021.02.13 Saturday

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    さらに2年たちました?

    • 2021.01.13 Wednesday
    • 15:14


    えっ(*゚Д゚*)


    早っ。


    2021年?


    ものすごい勢いで2019年と2020年が、しかし穏やかに楽しく幸せに、エンジン全開で過ぎ去っていきましたよ。


    今がきっと、私の人生での最盛期だと思うんです。

    もちろん先のことはわからないですが、なんかそんな気がします。


    チビさん達は、それぞれ小学生、中学生、高校生となり、もうチビさんとは呼べないどころではないくらい、みんな立派に成長しています。あ、涙腺が熱い熱い…


    私は新しい仕事(パート)に就いて、1年半くらいたちました。

    やっと念願の職種というか、自分の得意を活かせる!という幸せな仕事です。

    絵を描くことが、好きとか越えて宝物であると、改めて思わせてくれました。


    ちょうど1年前くらいから登場した新型コロナ。

    自分に出来ることを考え、その実践の最大限を目指すことを忘れずにいたいです…。


    年越しは2355見てました。

    いまや私の毎朝に0655は欠かせません。

    外出自粛でいろんな動画も見るようになりました。

    動画で体操やヨガも始めました。

    キメツがすごいことになりましたが、私は深夜アニメ放送よりももっと前から好きだったんだぜ…!流行る前から漫画集めてた1人なんだぜ…!

    でもまだ映画見てないっていう。



    そして、久しぶりに見たバインがかっこよすぎました。

    もうこの3日くらいバイン漬け。

    久しぶりの刺激に、なんかの脳内物質が山ほど出ます。ありがとうございます。


    描こう。





    いまの願い

    • 2018.12.11 Tuesday
    • 07:41
    自分の苦しみのためではなく、誰かの幸せのために祈れるひとになりたい。

    見返りの期待など全く無しに、純粋に誰かのために動けるひとになりたい。

    強い怒り、虚しさ、寂しさ、コントロールがきかない自分を責めて生きる理由を探すより、そんな自分とも仲良く一緒に生きていけるようになりたい。

    それはとても難しい。
    欲張りかも。
    でも今は何よりそれが願い。

    生きていてほしいと誰かに私が願うように、私も生きていてほしいと誰かに願われていることを信じたい。


    幸せになりたいなら、まず誰かを幸せにしてあげること。
    自分のしてほしいことを、先に相手へしてあげること。
    失敗したら、そこから学べばいい。次に活かせばいい。
    大丈夫。大丈夫。

    1年たちました

    • 2018.12.07 Friday
    • 01:54

     

    お久しぶりです。

     

    1年ぶりです。

     

    わ〜もう1年たつの!という思いと、ええ!?まだ1年なの!?という思い、そんな矛盾の中に今います。

     

    書きたいことは山盛りなんですが、時間がない…ということにして、本当は書く勇気がなかったんだろうと思います。

     

    この1年、またけっこう盛りだくさんでなかなか密度も高く、とても楽しかったです。

    大きな事としては、2017年の終わりに家が完成して引っ越したこと、

    個人的な大きな事としては、音楽仲間ができて、セッションを楽しむことができたこと。

     

    人生めっちゃ楽しんでる風なことを、今は書けると思います。

     

    でも、これを書かずには進めない…

     

    試験がどうなったのか。

     

    あんなに色々言っておいて、

     

    まさか受験をドタキャンしたなんて。

     

    情けなくて、情けなくて、今日まで書けなかったです。

     

    受験の3日前くらいに、車で雪の山道の運転を急いでしまった私は、スリップ事故を起こしました。

    といっても事故は大したことないんですが、

    その状況が、まさに今の自分である気がして。

    気が急いて、必要以上にスピードを出して、試験にまっしぐらに突っ込もうとして。

     

    大事なことは、本当にそこにあったのかしら?

     

    車は雪道をクルンッと半回転して、道路脇の消火栓に突っ込んで止まりました。

     

    最初に感じたのは、

    「ああ…、やっぱり止められた。いや…、止めてくれた。」

     

    どこかほっと安心したのを覚えています。

    車じゃなくて(車もだけど)、自分では止まれなかった私を、神仏が止めてくれたと感じたんです。

    それはつまり、まだ早い、無理があると、自分でも感じていたということ。

     

    車はすぐ廃車というほどではなかったけれど、あまり乗らないに越したことはないという感じで、電車、タクシー、それとも誰かに頼む…というのを考えはしたものの、事故にほっとした自分を自覚してしまっては、もう試験会場へ行く気になりませんでした。

     

    こうして試験の3日前で、辞退の電話をさせていただきました。

     

    …この話を、やっと書けました。ほんと、アホだなぁ…。

     

    周りは、「なんで!?行けばいいじゃん!」という反応から、まるで予期してたように「いいのよ大丈夫(にっこり)」という対応まで、さまざま。

    特に子ども達は、あんなに応援してくれていたのに…、もう…、あの…、いいですかねもうこのへんで。泣

     

    この事故の数日後には引っ越し準備が始まり、クリスマス頃から新居に住み始め、数週間後には新しい車(といっても中古車)に買い換えました。

     

    あのとき、消火栓がもしなかったら、スピードが落ちないままだったら、

    その先の崖から落ちていたかもしれない。あの高さなら、命も落としたかもしれない。

     

    そして試験をもし受けていたら…、毎月東京へ勉強に行っては大量の課題を抱えていたら…、

    人を救いたくて勉強したかったはずなのに、忙しすぎて文字通り心を亡くしたかもしれない。

     

    都合の良い解釈だけれども、私はあの事故に感謝しています。

    心身ともに私を止めてくれてありがとう。

     

     

     

     

     

     

    でもやっぱ情っけない話ー!!泣

     

    キャンドル

    • 2017.11.05 Sunday
    • 03:42

     

    真夜中にひとり、

    お風呂場でキャンドルを灯し、

    ゆったり湯船に浸かりながらお酒を呑む、

    っていう怒られそうなことをしてみました。

    (※写真はお風呂場ではない)

     

    いや〜〜〜たまりません。癒される。

    汗もたくさんかいて、毒素が抜けたような気さえする。

    ずっとシャワーばかりだったから、やっぱりお湯に浸かるのは格別であると再認識。

     

    そしてお風呂を上がったら、空には見事に輝く美しい月。

    思わず庭に出て月光浴。たまらん。

    これでまた明日も仕事頑張ります!

     

     

     

    ここにはしばらく何も書けていなかったけど、

    私はもっと仏教を学びたい。

    そしてやっぱりカウンセラーになりたい。

     

    実はそのための勉強をできるチャンスが今、来ているのです。

     

    もちろん勉強したい自分もいるし、しかし現実に家事育児仕事で手一杯の自分もいる。

     

    こんなんで、できるの?

    無理しなくても、今じゃなきゃだめってことでもないじゃない?

     

    この1か月ほど、私なりに迷って相談して悩んだ。

    年齢を重ねられた方ほどやんわり反対してくれたけど、

    身近にいる家族と職場の人が、たくさん迷惑も被るだろうにオッケーをくれた。

    心底、本当に、ありがとう。

     

    最終的に、決意させてくれたのは、

    「こういう人達の力になりたいんだ」と改めて強く思わせてくれた人と、

    「迷ったら難しいほうを選べ。そのほうが、同じ時間をかけても得るものが多い」という言葉。

     

    できないかもしれない。

    でも、挑戦しようと思います。

     

    結果はできてもできなくても、それが自分にふさわしい縁だからそれでいい。

    ただ1歩を踏み出して始めるということを今しようと思います。

     

     

    やる!!!

     

     

     

    頑張った

    • 2017.08.22 Tuesday
    • 22:38

    ただ、よく頑張ったと、認めてほしかった。

    頑張り過ぎだとか、無理をし過ぎだとかの忠告は、頭ではありがたいとわかっていても、否定されたと心が感じていた。

    私しかいない状況だったから、がむしゃらに頑張った。
    断ることも出来たといえば出来たけれど、それは困っている人よりも自分の都合を優先することで、私の心がそれを良しとしなかったから、自分の心に従った。

    そりゃキツかったけど、苦しくはなかった。
    越えられない試練は来ないと知っているし、越えればまた私は成長できると信じているから。

    私が頑張ったことは誰より私が知っている。


    なのに。

    それでも。


    よくやったと、誰かに言ってほしかったのだ。


    涙が出た。


    まだまだ、まだまだだなぁぁぁ。
     

    だから打ちのめされて良かった

    • 2017.06.26 Monday
    • 04:42

    実は1ヶ月前、自分の間違いというか、浅はかさを知って、心が打ちのめされました。



    仏教を学び、長年苦しんできた人生が2年前頃に180度変わり、生きる喜びを知って、全てが見事に無駄がなく、なんてありがたいのかと思った。

    呼吸が本当に楽になって、この世界がとても美しいと、心から思って感動した。

    そしてそれ以来、あまりにも物事が思い通りにいくので、それがつい、自分の力が凄いのだと思い、驕りや思い上がりが芽生えた。

    でも、自分の力が凄いのではなかった。
    凄いのは、自分を支えてくれている、自分以外だった。
    私の力はたかだか、それをやっと少し感知できるようになったことだけ。

    なのに思い上がった私は自分に満足して、自分の成長を止めてしまっていた。

     

    それを知って、打ちのめされた。

    まさに増上慢だった。

    もちろん知れて良かったとも思ったけれど、

    色々含めてとにかく、涙が止まらなくなるほどショックだった。


    とはいえ、悩みも、苦しみも、必要あっての意味のあること。だから安心してとことん悩めばいい。

    目を背けず、安心して存分に味わえばいい。
    これが今の自分にふさわしく、ちょうどいい色なんだと。
    それが必ずのちに「あれがあって良かった」に展開して転換していくと。

     

     

    仏教の「すべてを活かす」教えが大好きなんです。

    私は、打ちのめされたことで沈み、元気がなくなり、
    ならばせっかくの元気がない状態を活かそうと思い、活力あふれる元気いっぱいの私であったら出来なかっただろうことが、できた。

    人間、本当につらいときは、周りの笑顔や元気が憎らしく感じることもある。

    元気に励まさないで。
    一緒に泣いてほしい。
    そんな場合もある。

    自分が元気じゃないからこそ、起こせた行動がある。
    だから今は、今がちょうどいい。
    うっかり長くなっていた鼻をポッキリ折ってもらえて、やっぱり良かったです。

    もう無理だ、こんな難しい深い教えにはもうついていけないって思ったときもあるけど、
    もういいんだ、ただ日常を消化していくだけでいいよもう、って思ったときもあるけど、
    やっぱり戻ってくるんですね。笑


    謙虚にいるためには、感謝を忘れてはならない。

    そして傲慢にならないためには、向上心を持ち続けること。

    私はこの1ヶ月で、そう学びました。

     

     

    どこに幸せがあるか

    • 2017.05.21 Sunday
    • 07:13

    幸せというのは、外へ探し求めるものではなく、自分の中にある。

    自分がすでに持っているものの素晴らしさに気付くこと。

    そしてそれを、たいせつにすること。

    幸せはそこにある。



    念願の従姉妹に会えた。
    新幹線と高速バスを使って、初めてのひとり旅。
    最高の1日だった。

    そして改めて、幸せとは、知ること、気付くことだと、心から思った。

    従姉妹はまだ悩むかもしれないけれど、
    私が見たのは、想像していたより遥かに、ステキな家族でした。

    きっと、だいじょうぶ! o(`・ω・´)○

     

    クライシス

    • 2017.05.08 Monday
    • 14:06

    どの国へ行きたいかという話題で、

    「どこでもいいよ。」

    「俺ならハワイがいいなぁ。
    あったかいとこで、過去のことは忘れて楽しく暮らすんだ」

    「記憶でも失わない限り、どこに行っても同じだよ。
    人はそう簡単には変われない。
    住む場所が変わっても、すぐに前と同じ日常が、生活に染み込んでくる。」

    「じゃあ…
    過去の自分と決別したい場合は、どうすればいい?」


    「…さぁな。

    ただ大事なのは、『どこにいるか』じゃなくて、『そばに誰がいるか』だ。
    それだけは間違いない。」





    このシーン大好きです。



    そしてバーで出会った泣いている女性にそれを教え、そっとそばにいてあげる。

    その後、自分が打ちのめされているときに、今度はその女性がそっと、そばにいてくれる。


    なんて、美しい流れ。



    正直言うと最初は西島さん目当てで録画しておいたのですが、

    いいドラマだなぁ。

     

     

     

    ジョギング

    • 2017.05.07 Sunday
    • 18:19

     

    先日の口内炎を機に、摂りすぎていた食事を減らし、

     

    ならば身体も引き締めようと、久しぶりに自宅カーヴィーダンスを再開し、

     

    でもなんだか物足りないというか

    「もっと動きたい!」と思って、 いよいよ外を走ってみました。

     

     

    走る、っていう動作は日常に少なくはないけれど、

    それは急ぐため、時間短縮のために小走りしているわけで、

    走るために走ったことは、学生以来かもしれない。

     

    しかも自発的に走りたくて走ったことは、初めてだと思う。

     

     

    昔、小学生の頃、夏休みのラジオ体操のあとだったか、親子ジョギングがあった。

    そこで一緒に走ってくれた父から、呼吸法を教わった。

     

    父オリジナルの呼吸法かと思ったけど、本当に走りやすくなった。

    それ以来、マラソン大会やら持久走やらは、父の呼吸法を実践している私がいた。

     

    そして今日、庭を出て走り始めると、自然とその呼吸法を思い出していた。

     

    歩くよりは速いってくらいの、ゆったりジョギング。

     

    足を動かし、腕を動かし、意識するのは動きと呼吸が合っていて一定であること。

     

    周りの景色も見てはいるけれど、意識は一定の動きと呼吸に集中。

     

    しばらく続けていると、馴染んできて心地よくなってきた。

     

    人通りのない田舎道。

    昔は誰かに見られるのが恥ずかしくて散歩もできなかったけれど、

    車が通るとむしろ

    「いや〜ジョギング気持ちいいっすよ!」と言いたいくらい、清々しかった。

     

     

    予定のコースを終えそうになると「もっと走っていたい」と思って、

    家を通り過ぎて反対方向へ。

     

    自分の足。腕。呼吸。 空気。風。景色。

     

    集中しつつも、ゆるやかで、どこか厳かな気持ち。

     

    自己と対面していくような。

     

     

    座禅って、こんな感じなのかな。

    挑戦したことはまだないけど、

    (そして挑戦してみたいけど)

    「とらわれず、余念なく、ただひたすら」という心境が、

    これも禅だと勝手に思わせてもらった。

     

     

    そうして、山とか空とかを見るともなく見ながら、思った。

     

     

    ああ、私いま、地球を走ってる。

     

    地球と一体のような、地球が私を包み込んでくれているような、安心感。

     

    私、地球に生かされている。

     

     

    なんか、そんな感じがした。

     

     

     

    すごく爽快で気持ち良かった。

     

    汗もいっぱいかけて、めっちゃスッキリしたぁー!

    私、サウナよりジョギングのほうが好きかもしれない。

     

     

    ゴールデンウィーク中は毎日出勤だったけど、

    休みじゃなくても、できることは色々あった。

     

    子供たちと散歩をしたり、

    ドンジャラをしたり、

    回転寿司を食べに行ったり。

     

    仕事から帰ってから夕食までの、ちょっとした夕方の時間で、

    むしろ普通の休日よりも楽しめた気がする。

     

    ダラダラと過ごす暇な休日もそれはそれで良いけれど、

    限られた時間をいかに有効に使うかを考え、それを存分に楽しむためには、

    ある程度の制限があるほうが良いということに、実感をもって納得。

     

    時間に限りがあるほうが、その時間を大切に使えて宝物になる。

     

    命も限りがあるからこそ、大切に使うことで輝くんだ。

     

     

     

    実はマイホーム計画中2

    • 2017.05.02 Tuesday
    • 11:42

     

    去年の10月に、間取りとか色々は決まったんです。

    そこから工務店さんとか土木事務所さんとかが、
    ここがダメ、やり直し、今度ここがダメ、やり直し、
    って何度も何度も書類上のやりとりをしていたらしく、


    「まだ確認申請がおりないんです」と言われて、気がつけば5月ですわ。

    当初の計画では、そろそろ出来上がってきてて、
    夏休みに引っ越せるとか何とか聞いた覚えが。笑

    前にも書いたように、それについては何も思ってはいないんですが、

    まがりなりにも私は仏教徒。
    全て自分に課す生き方を実践したいわけですので、

    目の前の現象から自分が何を学ぶのか。

    「間取りが出来ているのに、実際に家が建たない現象」。

    私はこの現象を、
    「頭で勉強はしているのに、実際に行動が伴わない自分」と捉えました。

    勉強はしています。意欲もあります。
    しかし私は大事なことをしていないんです。

     

    御供養です…。


    私は仏教の哲学ばかりを学んで、
    実際に仏さまご先祖さまへ御供養をしていないんです。

    本来なら毎日、朝は誓願、夕は感謝であげさせていただく御供養。
    お経もそうですが、飯・水・茶すらあげていません。

    そして、そう気付いてからもなかなか、「わかっちゃいるけどできない自分」。

    「学ばかりで、行がない自分」。

    まさに「図面ばかりで、建たない家」みたい。



    「お前、家のことどう思ってる?」と若干キレ気味な旦那さまや、

    「ねぇ、家ってどうなってるの…」とテンションだだ下がりな子供たちを見て、

    ようやく「全て自分に課す」ということが腑に落ちた私。

    心機一転、毎日朝夕の御供養を始めました。

    って言いたいですが、
    ごめんなさい、せめて水とお茶をあげて合掌、礼拝するようにしました。

    こういうのは気持ちが大事。という言い訳。

     

    でも完璧にできるかできないかを重要視するのでなく、

    完璧を目指しつつ、今できることを精一杯やるのが大事だと思います。



    そしたら旦那さまから

    「工務店から連絡あって、ようやく確認申請がおりたって」


    キター(・∀・)



    最近こういうの本当に多いので、
    「ですよね〜…」
    という気持ちです。

    すみませんでした…

    心を込めて、できる範囲で御供養いたします。



    家は、住めればいい。
    大事なのは、中で暮らす家族が幸せであること。

    今は古くてボロくて時々雨漏りもする家だけど、
    子どもちは「ずっとこの家でいい」と言ってくれました。

    それでも引っ越さなければならない事情があるので仕方ないんですが、
    それがマイホーム新築の道へと繋がった。

    ありがたく努力しようと思います。





    って打ってたら、ちょうどお客さんが来ました。

    その人は「命の次に大事なお金」というワードを口にされてましたが、

    その後にこう言ってました。

    「私はね、生活が苦しかった時期もあったけど、
    お金がなくて貧乏で喧嘩もしているなんて、惨めでしょう。
    だから私、言ったの。
    『お父さん、お金がなくて貧乏でも、喧嘩はしないでいようね』って。」

    そこからご主人とは喧嘩が少なくなり、穏やかになれたそうです。

    「命の次にお金が大事」と言った人がです。

    すごい。

    私は、幸いお金には大きな苦労がないので執着も目立っていませんが、
    何らかの理由で生活が苦しくなっても、心だけは穏やかに暮らせる私でありたい。

    たとえお金がなくても、
    たとえ事故で動けなくなっても、
    たとえ病気で声が出なくなっても、
    目の前にいる人に、感謝で笑顔を向けられる人でありたい。

    無財の七施の中で出来ることをしたい。



    頑張って建てたとしても、何らかの理由で家族から笑顔が消えるなら、

    家に執着なんかしない。手放したっていい。
    家を建てるのは、家族の笑顔のため。

    うん。

    忘れちゃいけない。