娘のホットケーキがくれた気付き

  • 2017.02.26 Sunday
  • 21:55

従姉妹にどう伝えようか…と考えていたとき、
娘がホットケーキを焼いていたので、これで例えてみようとしていたら、気付いた。




例えばホットケーキを焼くときに、

「きれいな形に焼き上げよう」とするのは向上心であり、きれいな形を目指して作るのは楽しく、うまく出来れば達成感もあったりする。

「食べられれば形なんかどうでも良いや」と思えば気楽だけど、向上心がないので、達成感などの喜びは少ないかもしれない。

「絶対にこの形にしなければならない!失敗が許されない!」となるとプレッシャーで心が苦しくなり、「できた達成感」よりも「できない嫌悪感」に目が行き、ホットケーキを作るのが嫌になっていく…。


どんな形だって食べられるんだけど、
純粋な向上心か、プレッシャーかで、心の中は全く違う景色になる。


あ。


私だ、これ。


そうか私、プレッシャーだったんだ…。


30年以上、何がそんなにずっとずっと苦しかったのか、よくわからなかった。

その苦しみからはこの1〜2年でもう解放されていたけれど、
今ようやく、何だったのかに気付いた。


小さい頃から夜は眠れなくて、ご飯はなかなか食べられなくて、

いつもいつも生きづらくて、息苦しくて、
何かに追われるような責められるようなで、安らぎとか温かさとかなくて、

その正体はわからないけど、いつも何かの捌け口を探してた。

どれほど絵と楽器に助けられたことか。

しかし大きくなって、どれほど無茶苦茶な恋愛をしたことか。

本気で死にたかったわけじゃないのに、どうして左腕は傷だらけになるしかなかったのか。

精神科でパーソナリティ障害だと診断されたこともあったから、そのせいだと思ってたんです。


従姉妹の苦しみに寄り添ってたくさん考えているうちに、ひとつの答えに辿り着いたとき、

それは従姉妹のことのようで、私の答えだと気が付いた。

私は、従姉妹のおかげで、私の答えを見つけました。


ああ…、これだったんだなぁ…。


代々受け継がれてきた、価値観。固定観念。
「〜でなければならない!」という考え方。

それが強い母であることは、私も気がついていた。
でも自分を苦しめたのが、そのプレッシャーだとは気付いていなかった…。


母は、母の祖母からとにかく厳しく育てられた人だった。
世間体、見栄、体裁、そういうものを何より重視した価値観で育ち、
人様に恥を晒すな、人様に迷惑をかけるな、と言われて育った。

当時はそれが生きるためだったんだと母は言う。

母を責める気なんか全くない。
ただ、もう時代は変わったんだよね。

こんなプレッシャーは私の代で終わりにしよう。

人生に正解も不正解もない。
間違いも失敗も恥も、許されるとか許されないとかではなく、みんな豊かな人生の糧。

ほんとうは、ほんとうに自由。
どう生きたっていい。
キリギリスになるなといっても、アリにだってならなくてもいい。
いや、アリだってキリギリスだっていいんだ。

こどもたちには、どうか広い視野を。

どうかたくさんのさまざまな価値観を。

どうか自分も周りも許し、さまざまなことを受け入れられる柔軟さを。

それらを教えられるような母で、私がありますように。







私の価値観が変わるにつれて、

母が私に怯えるようになった。

私が話しかけると、硬い表情で身構えるようになった。

私は母に感謝しかないのに。
母は母なりに必死に私を育ててくれたし、
私は苦しんだけど、その苦しんだおかげで素晴らしい宝物を手に入れた。

私が母にしてあげられることって、なんだろうな…。

あの顔…、さすがにつらいな…。
母も昔、私の顔を見て、こんな気持ちになったんだろうな…いまわかったよ。

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