従姉妹にどう伝えようか…と考えていたとき、
娘がホットケーキを焼いていたので、これで例えてみようとしていたら、気付いた。
例えばホットケーキを焼くときに、
「きれいな形に焼き上げよう」とするのは向上心であり、きれいな形を目指して作るのは楽しく、うまく出来れば達成感もあったりする。
「食べられれば形なんかどうでも良いや」と思えば気楽だけど、向上心がないので、達成感などの喜びは少ないかもしれない。
「絶対にこの形にしなければならない!失敗が許されない!」となるとプレッシャーで心が苦しくなり、「できた達成感」よりも「できない嫌悪感」に目が行き、ホットケーキを作るのが嫌になっていく…。
どんな形だって食べられるんだけど、
純粋な向上心か、プレッシャーかで、心の中は全く違う景色になる。
あ。
私だ、これ。
そうか私、プレッシャーだったんだ…。
30年以上、何がそんなにずっとずっと苦しかったのか、よくわからなかった。
その苦しみからはこの1〜2年でもう解放されていたけれど、
今ようやく、何だったのかに気付いた。
小さい頃から夜は眠れなくて、ご飯はなかなか食べられなくて、
いつもいつも生きづらくて、息苦しくて、
何かに追われるような責められるようなで、安らぎとか温かさとかなくて、
その正体はわからないけど、いつも何かの捌け口を探してた。
どれほど絵と楽器に助けられたことか。
しかし大きくなって、どれほど無茶苦茶な恋愛をしたことか。
本気で死にたかったわけじゃないのに、どうして左腕は傷だらけになるしかなかったのか。
精神科でパーソナリティ障害だと診断されたこともあったから、そのせいだと思ってたんです。
従姉妹の苦しみに寄り添ってたくさん考えているうちに、ひとつの答えに辿り着いたとき、
それは従姉妹のことのようで、私の答えだと気が付いた。
私は、従姉妹のおかげで、私の答えを見つけました。
ああ…、これだったんだなぁ…。
代々受け継がれてきた、価値観。固定観念。
「〜でなければならない!」という考え方。
それが強い母であることは、私も気がついていた。
でも自分を苦しめたのが、そのプレッシャーだとは気付いていなかった…。
母は、母の祖母からとにかく厳しく育てられた人だった。
世間体、見栄、体裁、そういうものを何より重視した価値観で育ち、
人様に恥を晒すな、人様に迷惑をかけるな、と言われて育った。
当時はそれが生きるためだったんだと母は言う。
母を責める気なんか全くない。
ただ、もう時代は変わったんだよね。
こんなプレッシャーは私の代で終わりにしよう。
人生に正解も不正解もない。
間違いも失敗も恥も、許されるとか許されないとかではなく、みんな豊かな人生の糧。
ほんとうは、ほんとうに自由。
どう生きたっていい。
キリギリスになるなといっても、アリにだってならなくてもいい。
いや、アリだってキリギリスだっていいんだ。
こどもたちには、どうか広い視野を。
どうかたくさんのさまざまな価値観を。
どうか自分も周りも許し、さまざまなことを受け入れられる柔軟さを。
それらを教えられるような母で、私がありますように。
私の価値観が変わるにつれて、
母が私に怯えるようになった。
私が話しかけると、硬い表情で身構えるようになった。
私は母に感謝しかないのに。
母は母なりに必死に私を育ててくれたし、
私は苦しんだけど、その苦しんだおかげで素晴らしい宝物を手に入れた。
私が母にしてあげられることって、なんだろうな…。
あの顔…、さすがにつらいな…。
母も昔、私の顔を見て、こんな気持ちになったんだろうな…いまわかったよ。