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- 2021.02.13 Saturday
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実は1ヶ月前、自分の間違いというか、浅はかさを知って、心が打ちのめされました。
仏教を学び、長年苦しんできた人生が2年前頃に180度変わり、生きる喜びを知って、全てが見事に無駄がなく、なんてありがたいのかと思った。
呼吸が本当に楽になって、この世界がとても美しいと、心から思って感動した。
そしてそれ以来、あまりにも物事が思い通りにいくので、それがつい、自分の力が凄いのだと思い、驕りや思い上がりが芽生えた。
でも、自分の力が凄いのではなかった。
凄いのは、自分を支えてくれている、自分以外だった。
私の力はたかだか、それをやっと少し感知できるようになったことだけ。
なのに思い上がった私は自分に満足して、自分の成長を止めてしまっていた。
それを知って、打ちのめされた。
まさに増上慢だった。
もちろん知れて良かったとも思ったけれど、
色々含めてとにかく、涙が止まらなくなるほどショックだった。
とはいえ、悩みも、苦しみも、必要あっての意味のあること。だから安心してとことん悩めばいい。
目を背けず、安心して存分に味わえばいい。
これが今の自分にふさわしく、ちょうどいい色なんだと。
それが必ずのちに「あれがあって良かった」に展開して転換していくと。
仏教の「すべてを活かす」教えが大好きなんです。
私は、打ちのめされたことで沈み、元気がなくなり、
ならばせっかくの元気がない状態を活かそうと思い、活力あふれる元気いっぱいの私であったら出来なかっただろうことが、できた。
人間、本当につらいときは、周りの笑顔や元気が憎らしく感じることもある。
元気に励まさないで。
一緒に泣いてほしい。
そんな場合もある。
自分が元気じゃないからこそ、起こせた行動がある。
だから今は、今がちょうどいい。
うっかり長くなっていた鼻をポッキリ折ってもらえて、やっぱり良かったです。
もう無理だ、こんな難しい深い教えにはもうついていけないって思ったときもあるけど、
もういいんだ、ただ日常を消化していくだけでいいよもう、って思ったときもあるけど、
やっぱり戻ってくるんですね。笑
謙虚にいるためには、感謝を忘れてはならない。
そして傲慢にならないためには、向上心を持ち続けること。
私はこの1ヶ月で、そう学びました。