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    従姉妹に響いたもの

    • 2017.03.26 Sunday
    • 21:23
    更に私は今回の事で、
    「壁は戦うものではなく、越えるものだ」と知った。

    目の前に壁が立ちはだかったとき、
    つい壁と戦いがちだけど、戦うべき本当の相手は自分。

    壁が現れたときは、自分との戦い。
    その壁を越えられる自分になるために、レベルアップする時。

    壁とは、今の自分の限界を教えてくれている存在でもあると思う。
    ぶつかるのは、現状ではまだ自分の限界がその壁の高さに及ばないから。

    逆に言えば、その壁の高さを越えるくらい自分が大きくなればいい。

    限界は上げられる。
    ここまでしかできないと思っていた限界が、壁に当たったことをキッカケに成長する。
    限界点は自分の選択肢次第で更新されていく。

    壁はそのキッカケに過ぎない。
    壁と戦っても壁は動かないのだから、ひたすら自分が苦しいだけ。

    壁と戦わなくていい。
    壁をなんとかしようとしなくていい。
    自分との闘い。
    自分が壁を越える闘い。



    その話を従姉妹にしてみたら、
    壁と10年戦ってきた従姉妹にスコーン!と入ったらしい。

    5年くらい前から従姉妹の話を聞いているけれど、
    5年前はお互いに愚痴を言い合っていた。

    3年前くらいは、むしろ私が彼女にたくさん支えてもらっていた。

    今年は私が得てきたものをどんどん送り込んでいるのだけど。笑
    彼女の反応が、ついに変化してきた!

    たぶん迷惑なものもあっただろうに、真剣に受け止めてくれて、目からウロコを落としてくれた。

    そして私の言葉を「通り道に立ててくれた看板」だと言ってくれ、それを道標に進もうとしてくれるようになった…!

    なんてすごいんだろう。
    私の立てた看板を信じてくれる。
    それがもう本当に嬉しくて嬉しくて、ありがとう!と抱きしめたいほど。

    どうか彼女の中の光明が広がっていきますように。

    そして私をたくさん高めてくれて、ありがとう。

    彼女の力になりたいとずっと思ってきたけど、
    力になってもらっていたのは私のほうだったよ。

    むしろ彼女が私の成長を促して、待っていてくれたかのよう。

    貴重な経験を本当に本当にありがとう。
    あなたから学ばせていただいたこともしっかりと糧にして、私はもっともっと大きくなれるよう頑張る。

    目に見えない存在を確かに感じる時ってこういう時

    • 2017.03.26 Sunday
    • 17:47

    神さまとか仏さまとは、
    目に見えない存在というよりも、

    目に見えない「はたらき」なんですね。


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    限界は越えるためにある

    • 2017.03.20 Monday
    • 21:58
    ちっくしょー
    この未熟者っ
    役立たずっ

    だからってもう自分を卑下したりしない!

    誰かのせいにもしない!

    言い訳なんかもしない!

    私は私にできる精一杯をやる!

    どんな困難だって結局は自分との戦いだ!

    疲れたとか、もう嫌だとか、つらいとか痛いとか、もう言わない!

    こんなもん、つらいうちに入らない!

    もっと頑張ってる人の前で、泣き言なんか言うもんか!

    負けず嫌いナメんなよっ!

    ぜってーもっともっと大きくなってやる!

    困難のたびに限界は更新されるんだいっ!
    むしろ大歓迎だ!さあ来いっ!!

    今ある中から光を見つける

    • 2017.03.19 Sunday
    • 15:16
    「今」の中から見つけなきゃ。
    「現状」の中から見つけなきゃ。

    こうするといいよ、
    こうなるといいね、
    じゃない。
    それだと「今」を否定している。

    今これがあるよ、
    今こんなの持ってるよ、
    それなんだ。
    まさに「今」を肯定するための光を見つけること。

    だから大丈夫。

    あなたは素晴らしい。

    そう言えるものを見つけるんだ。
    絶対に、それは必ずあるのだから。


    目標は自ら因になること

    • 2017.03.16 Thursday
    • 22:09


    苦しむ人を癒し、

    頑張る人を称え、

    感謝で生きる自分が周りを活性化させる因子になるということ。

     

     

    まぐろ事件

    • 2017.03.12 Sunday
    • 15:00

    「今日ごはんいらない…」

    という人生初の言葉を次男に言わせた事件。


    続きを読む >>

    心を汲むということ

    • 2017.03.11 Saturday
    • 15:14

    先週、ラジオで福山さんが言ってました。
    うろ覚えだけど。

    元彼が家に来るのを拒めない…というリスナーの悩みに対して。


    「オーレも行きたーーーい!
    (笑)

    まぁ真面目に答えますとね、
    そりゃあね、倫理的、道徳的には、別れたほうがいいに決まってますよ。
    別れて新しい彼を探すとかが正しいですよ。

    でもね、

    みんながみんなそうだったら、なんのドラマも音楽も生まれないわけですよ。
    タラレバは生まれないわけですよ。
    だからぁ…

    タラレバ娘、見て?」

    by福山さん


    まぁそのドラマは私は残念ながら見てないんですが(笑)


    そう、そうなんだよね。そうなんですよね。

    これが正しいというものは、確かにあるかもしれない。
    でも、みんながみんな間違わずにいられるだろうか。

    むしろ、みんながみんな正しいことしかしなかったら、
    確かになんのドラマも感動も生まれない。


    正しくさせる必要って、あるだろうか。

    教えは、私に、自分自身だけに、向けるものだ。

    相手を、周りを、誰かを、正す必要なんて、あるだろうか。

    私は、正すよりも称えたい。

    すごいね、って。
    ここが素敵だ、って。

    正しいとか間違ってるとかなんて、とりあえず重要ではない。

    まずその心を汲みたいんです。
    今を、現状を、その人を、ありのままを、受け入れて「そっか」と言いたいんです。

    そうだったのね。
    それはつらいね。
    よく頑張ったね。
    ここが素晴らしいね。
    あなただからこそできるのね。

    そんな言葉を言いたいのですよ私は。

    心を汲む。
    想いを汲む。
    気持ちを汲む。

    その行動が正しいか間違ってるかはひとまず置いて、そうすることを選んだ想いを汲みたい。

    言葉が事実か嘘かを追及するより、嘘をついてまで何かを求めたその心を汲みたい。

    それだけで、人は救われることがある。


    福山さんから大事なことを教わりました。
    感謝です。
     

    我が家の黒歴史

    • 2017.03.10 Friday
    • 01:58


    『あの時ママはこんな事をした』


    たまたま話の流れで、長女と長男が、我が家の黒歴史を掘り起こした。

    まだ感情をコントロールできなかった私が、

    子供の椅子を襖に投げつけて、襖に穴があいたとか。

    台所で麦茶のポットを床に投げつけてぶちまけたとか。

    わざわざお皿を床に投げつけたとか。

    パパが私を殴ったとか。
    パパが長女を蹴ったとか。

    中には「え…私、そんな事したの…?」と、全く覚えていなくてドン引きしたり…。

    された事は覚えているのに、自分がしたことは忘れている。

    そうかぁ…うん、そんな事してたんだなぁ…。

    子供を叩いたことも何度もあった。
    せめて子供を叩くまいと戒めてからは、物を床へ叩きつけることが何度もあった。

    旦那さんも私に手をあげたり物に当たったりが何度もあった。



    でも、

    そんなつらかった出来事を、こんなケラケラと話せるということは、

    「もう乗り越えたってことよね…?」

    「うん」

    長女はあっさり即答してくれた。

    そうかぁ…。
    あんな修羅場から、よくこんな和やか家族にまで。

    よく乗り越えたもんだなぁ。


    やってしまった黒歴史を掘り出されてしばらく凹んだけど、
    それはもう乗り越えたからこそ掘り出すことができたんだ。


    たくさん傷ついただろうに、
    今は「あーママが凹んでる(笑)」って明るく言えるようになってくれた。


    やってしまった事は消えないけども、
    だからこそもっといいお母さんになろうと思います。
     

     

    実はマイホーム計画中

    • 2017.03.09 Thursday
    • 09:13

    なんだけど、

    なんだけども、

    工務店さんがなかなかちょっと心配になる態度で、
    ついに旦那さんがキレたのです。

    着工の予定がすでに3ヶ月は遅れている。
    大丈夫ですと言ったきり、どうなっているのかろくに連絡もしてこないという態度に、ご立腹なわけです。

    この工務店さんに決めたのは私達夫婦です。
    確かに、大手のホームメーカーに頼んでいればもう引っ越せていたかもしれない。

    もう出来上がってるような大手に家づくりを頼むのもアリだったと思う。

    でも、新出の工務店を応援するような役割の施主になるのも、アリだと思う。

    今回の家づくりは、
    工務店さんと家と私達が、一緒に育っていくんじゃないかなぁと思うんです。

    私は「これは時間がかかりそうだ」と思って、気長に待つ心構えでいたけれど、
    旦那さんのように、時にはバシッと叱るのも、それはそれで必要なんだと思う。

    怒った時の旦那さんは不動明王みたいなんだけど、
    遠慮して良い顔しちゃう人も多い中、こういう存在って貴重だよね…!

    畏れられ時には嫌われ、それでも悪いことは悪いと、バシッと叱ってくれる存在。
    ありがたや。ありがたや。

    私じゃ怒ってあげられなかった。
    旦那さま、厳しい役割を担ってくれて、ありがとう。

    我が家の不動明王に感謝。
    私は私の役割に徹することができるよう精進。
     

     

    私の先生

    • 2017.03.07 Tuesday
    • 15:30

    苦労は不幸じゃない。

    その苦労を誰かのせいや自分の境遇のせいにして、嘆いてばかりだったり逃げ出してしまうことこそが不幸。

    苦労は成長のチャンス。

    つらければつらいほど、乗り越えた時には大きく目が開くチャンス。

    どこで咲くかじゃない。
    どう咲くかだ。

    それを伝えたい。


    でも彼女は教えてくれた。

    正しい言葉は相手を傷つける、って。


    そうだよね。
    私も、わかっていてもできなくて悩んでいたとき、
    正論で責められることほど追い詰められるものはなかった…。

    あの頃、私は1番、何をしてほしかったんだっけ。

    「こうしなさい」と言われても、ちっともできなくてつらかった。

    「そのままでいいよ」と言われても、いいわけないだろと思ってつらかった。

    きっと私は、「そうか」って言ってほしかった。

    「そうか、できるようになりたいんだね。なのにできないから、悩んでいたんだね。つらかったね」と、ありのままを受けとめてほしかったのでは?

    自分が苦しんだ時のことを、忘れたくない。
    あの苦しみが、私の先生なんだもの。

    苦しいとき、視野の中がどう見えていたか、どうしてほしいと感じていたかを、教えてくれる私の先生。

    もうその先生はいない。
    毎日が快適で、苦しかった記憶も薄らいでいく。
    それはそれで、幸せなこと。

    でも私は苦しむ人を癒したい。
    もうそれが趣味なら趣味でいい。

    そのためには、やっぱり先生を忘れたくない。


    思い出させてくれて、ありがとうね。