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- 2021.02.13 Saturday
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先週、ラジオで福山さんが言ってました。
うろ覚えだけど。
元彼が家に来るのを拒めない…というリスナーの悩みに対して。
「オーレも行きたーーーい!
(笑)
まぁ真面目に答えますとね、
そりゃあね、倫理的、道徳的には、別れたほうがいいに決まってますよ。
別れて新しい彼を探すとかが正しいですよ。
でもね、
みんながみんなそうだったら、なんのドラマも音楽も生まれないわけですよ。
タラレバは生まれないわけですよ。
だからぁ…
タラレバ娘、見て?」
by福山さん
まぁそのドラマは私は残念ながら見てないんですが(笑)
そう、そうなんだよね。そうなんですよね。
これが正しいというものは、確かにあるかもしれない。
でも、みんながみんな間違わずにいられるだろうか。
むしろ、みんながみんな正しいことしかしなかったら、
確かになんのドラマも感動も生まれない。
正しくさせる必要って、あるだろうか。
教えは、私に、自分自身だけに、向けるものだ。
相手を、周りを、誰かを、正す必要なんて、あるだろうか。
私は、正すよりも称えたい。
すごいね、って。
ここが素敵だ、って。
正しいとか間違ってるとかなんて、とりあえず重要ではない。
まずその心を汲みたいんです。
今を、現状を、その人を、ありのままを、受け入れて「そっか」と言いたいんです。
そうだったのね。
それはつらいね。
よく頑張ったね。
ここが素晴らしいね。
あなただからこそできるのね。
そんな言葉を言いたいのですよ私は。
心を汲む。
想いを汲む。
気持ちを汲む。
その行動が正しいか間違ってるかはひとまず置いて、そうすることを選んだ想いを汲みたい。
言葉が事実か嘘かを追及するより、嘘をついてまで何かを求めたその心を汲みたい。
それだけで、人は救われることがある。
福山さんから大事なことを教わりました。
感謝です。
『あの時ママはこんな事をした』
たまたま話の流れで、長女と長男が、我が家の黒歴史を掘り起こした。
まだ感情をコントロールできなかった私が、
子供の椅子を襖に投げつけて、襖に穴があいたとか。
台所で麦茶のポットを床に投げつけてぶちまけたとか。
わざわざお皿を床に投げつけたとか。
パパが私を殴ったとか。
パパが長女を蹴ったとか。
中には「え…私、そんな事したの…?」と、全く覚えていなくてドン引きしたり…。
された事は覚えているのに、自分がしたことは忘れている。
そうかぁ…うん、そんな事してたんだなぁ…。
子供を叩いたことも何度もあった。
せめて子供を叩くまいと戒めてからは、物を床へ叩きつけることが何度もあった。
旦那さんも私に手をあげたり物に当たったりが何度もあった。
でも、
そんなつらかった出来事を、こんなケラケラと話せるということは、
「もう乗り越えたってことよね…?」
「うん」
長女はあっさり即答してくれた。
そうかぁ…。
あんな修羅場から、よくこんな和やか家族にまで。
よく乗り越えたもんだなぁ。
やってしまった黒歴史を掘り出されてしばらく凹んだけど、
それはもう乗り越えたからこそ掘り出すことができたんだ。
たくさん傷ついただろうに、
今は「あーママが凹んでる(笑)」って明るく言えるようになってくれた。
やってしまった事は消えないけども、
だからこそもっといいお母さんになろうと思います。
なんだけど、
なんだけども、
工務店さんがなかなかちょっと心配になる態度で、
ついに旦那さんがキレたのです。
着工の予定がすでに3ヶ月は遅れている。
大丈夫ですと言ったきり、どうなっているのかろくに連絡もしてこないという態度に、ご立腹なわけです。
この工務店さんに決めたのは私達夫婦です。
確かに、大手のホームメーカーに頼んでいればもう引っ越せていたかもしれない。
もう出来上がってるような大手に家づくりを頼むのもアリだったと思う。
でも、新出の工務店を応援するような役割の施主になるのも、アリだと思う。
今回の家づくりは、
工務店さんと家と私達が、一緒に育っていくんじゃないかなぁと思うんです。
私は「これは時間がかかりそうだ」と思って、気長に待つ心構えでいたけれど、
旦那さんのように、時にはバシッと叱るのも、それはそれで必要なんだと思う。
怒った時の旦那さんは不動明王みたいなんだけど、
遠慮して良い顔しちゃう人も多い中、こういう存在って貴重だよね…!
畏れられ時には嫌われ、それでも悪いことは悪いと、バシッと叱ってくれる存在。
ありがたや。ありがたや。
私じゃ怒ってあげられなかった。
旦那さま、厳しい役割を担ってくれて、ありがとう。
我が家の不動明王に感謝。
私は私の役割に徹することができるよう精進。